小骨通信 2001/03
2001/03/07

小骨通信のキューバについて、ある方からいただた
ご意見です。

> こういう福祉国家モデルが立ち行かないこと
> は、北欧諸国の失敗で明らかになった、とい
> うのがほとんど一致した見方ではないでしょ
> うか。
> やはり、ある程度の経済成長も同時に実現す
> るというモデルでないと、長期的に縮小均衡
> とならざるを得ないです。そしてキューバは
> そうなっている国の典型です。
> 「国防も福祉も教育も金がかかる以上、経済
> 成長がなければ長期的に持続不可能である
> 」という永遠のテーゼから、人類は逃れるこ
> とは出来ません。経済一辺倒も問題ですが
> 、経済を無視した情緒論では国を誤ります。
>
> いいたいことは、キューバの教育の量的(財
> 政的)側面はむしろ否定的に捉えた上で、質
> 的側面(教え方、先生の意欲など)を肯定的
> に評価する、というのが公平な評価なのでは
> ないでしょうか、ということです。そして、
> 「金をかけなくても質の向上は可能」という
> 発見があれば、そこに付加価値があるのでは
> ないでしょうか。

こういうご意見、とてもごもっともと思います。
私にはない視点なので大変参考になります。
私は北欧に行って見たことがないので、失敗かど
うか、全然わかりませんが、そうなんですか?私
のイメージは環境にやさしいいい国のように思っ
てましたけど。ぜひ行ってみたいと思います。

キューバが縮小均衡というのは、確かに経済的側
面から見たら、当たっていると思います。でも幸
せそうに見えるんですよ。日本やアメリカは、縮
小均衡に対する言葉は何と言うのかわかりません
が、それでいて幸せならいいんでしょう。ただし
他国からの搾取がない状態で。天然資源や労働力
を合法的に搾取して経済的に豊かになって、なお
かつ幸せそうでないというように感じます。

国防も教育も金が今後も永遠に必要なのか、私は
どちらも必要ない時代が来て欲しいもんだと思っ
ています。これを情緒論というのかな?で、キュ
ーバは決して経済を無視しているわけでなく、ア
メリカの経済封鎖で貿易の85%が一気にパーになっ
てしまったところから立ち上がり、経済危機で1ド
ル150ペソの為替レートを1年半で25ペソまで持ち
直し(現在約20ペソ)、国民の暮らし振りも、交
通機関と住宅の不足が目立つ以外は、健康で文化
的な最低限度の生活を営んでいるように感じまし
た(むしろ日本より健康で文化的!)。世の中み
んなが縮小均衡じゃだめなのかなあ?また、グロ
ーバルな経済にお詳しい方、教えてください。




2001/03/15

昨日、私が去年の春から半年間、相談員として非常勤で行って
いた小学校の卒業式がありました。招待いただきましたので、
6年生の晴れの姿を見に出かけました。在校生として5年生も
出席しています。

緊張した空気の中、卒業生一人ひとりに卒業証書が手渡されま
す。もらい終わって来賓席の前を通る子どもの顔を、じっと見
ていました。何だかものすごくたくましく見えます、全員。そ
して腹に黒いものを持っていたら、顔にそれがにじみ出てくる
もんですが、そういうものは、卒業生には誰一人として表れて
いません。

中学ぐらいだったら、結構ヤバイそうなのを時々見ますけど、
ここらの小学6年生は、結構学校でやんちゃをして先生を困ら
せたりはしますが、おこちゃまなだけで純粋さは失われていな
いように感じます。その清らかなまま、素敵な大人に成長して
いくよう、祈らずにはいられませんでした。

式が終わって、6年生の教室に顔を出したら、さっきの厳粛さ
はどこへやら、みんなでわいわい写真を撮りあってました。そ
して、真っ先に私の方へ寄ってくるのが、授業の邪魔をする常
習犯のやんちゃ坊主たち。確かにこいつらがクラスにいるとい
じっかしい(金沢弁。邪魔、うざったいの意)し、つまみ出し
たくなります。でもとっても可愛くて愛すべきやつらです。私
もそうでしたが、回り道して大人になっていくんでしょう。

にしても、こういった儀式っていろいろ議論があるところです
が、私には何だか感慨深くて好きです。卒業生と在校生で歌っ
た大地賛唱を聞いたときには涙がでました。

学校嫌いな人にはつらい時間なんでしょうけど。成人式も今年
はずいぶん世間を賑わしましたが、嫌な人は出なきゃいいのに
ね。でもたぶん、成人式そのものがどうのこうのではなくって、
その社会に対して物申したいんだと思います。儀式って形式的
な意味に使われますけど、根底に参加者の気持ちのつながりが
ないと、本当にただの「儀式」になっちゃいますね。



2001/03/26

先日知人の紹介で、ある方が映画の上映についての協力を求めてこられました。タイ
トルは「親分はイエス様」といいます。ヤクザとして極悪非道の限りを尽くしてきた
(と本人は語る)人間が、イエスによって救われ、人生を大きく転換して今では伝道
布教のために牧師となって活動している、7人の実話に基づいた話です。原作本をい
ただいたので読ませていただきました。

なにせヤクザの世界はあまり知る機会がありませんでしたが、ものすごいシビアな世
界のようで、私には一日とていられないでしょう。刺青や指詰め、留置所での生活な
ど、想像しただけでビビります。そんな世界で頂点にまで登りつめた人も、どこか満
たされないものがあったということ、そして全く正反対の人生を突然選んだこと、そ
して万人が救われると説いていること、大変驚きです。そして彼らの心の内面を垣間
見て、感動しました。彼らこそ、神の子である人間だと。

神の前では万人は等しい。私はクリスチャンではありませんが、罰や脅しで変えられ
ない人の心を、許しや愛で変える神の力というものは、絶大だと思います。そして私
たち人間も、愛で人と接しなければ駄目ということに気づかされます。昨今、世間を
賑わす若者の異常行動は、少年法の改正や監視の強化などでは解決しないでしょう。
企業や政治のトップが見せる無責任な言動は、非難を浴びせても変わらないでしょ
う。愛こそ全てというのは、真実としか思えません。

理屈ではわかっていてもなかなかピンと来ないこのことは、元ヤクザの彼らの口を通
じて感じられます。ぜひ本「刺青クリスチャン」ミッションバラバ著、早稲田出版、
映画「親分はイエス様」、そしてホームページ
http://www.netpal.co.jp/barabbas/
を機会がありましたらぜひぜひご覧下さい。

原作本の一部(ホームページ上にある)を紹介します。


刺青クリスチャン誕生す

「刺青クリスチャン」より

 

十字架を担いで日本縦断

 一九九二年(平成四年)の春、私(鈴木啓之) は沖純で希望に満ちた第一歩を踏
み出しました。

 それは「日本リバイバル十字架行進」の始まりで、日本全国を南から北まで歩いて
縦断しながら、キリスト教を路傍伝道していこうという、途方もない大プロジェクト
の始まりでした。それも、長さ三メートル、重さ四〇キロの木製の十字架を交替で背
負って歩く、というものでした。

 毎日四〇キロメートルほどの距離を歩きながら、人の集まるところで辻説法をす
る。そういう路傍伝道をすることで、もちろん神やキリストのことを人々に少しでも
知ってもらいたいというのがその目的のひとつですが、と同時にその経験で、自分が
大きく変われるのではないかという願望を持ったのです。

 生まれ変わりたい、生き直したい、その時私は、それまでの自分を捨てて新しい自
分を作りたいという、心の底からの叫びにつき動かされていました。

 その二年前まで、私はヤクザをしていました。よくもののたとえとしてヤクザな稼
業といった言い方をしますが、私のは正真正銘暴力団組織に属し、それも若頭という
組長から二番目の地位で、どっつぷりヤクザにつかった生活だったのです。

 そのヤクザ生活を私は十七年間やって、その結果、仲間から命を狙われ、妻子も捨
てて逃げまどうというぼろぼろの人生を生きることとなり、あるとき、イエス・キリ
ストに出合って、この十字架行進に参加することになったのです。 一ヤクザからイ
エス・キリストに出合うまでの経緯は、後で述べさせて項くこととして、ここではこ
の「十字架行進」の中で、私が何と二人の同じような経験をした同志とめぐり合い、
その後次々に元ヤクザたちが集まってきて、ついには元ヤクザ、今クリスチャンの伝
道集団ミッション・バラバが結成されるに至ったまでを、話したいと思います。
「十字架行進」に参加するきっかけを作ってくれたのは、アーサー・ホーランド牧師
でした。彼は日本人とアメリカ人の混血。ヤクザではありませんでしたが、若い頃は
けっこう「ワル」もやって、クラブの用心棒をしたこともあると聞いてています。全
米アマチュア・レスリングのチャンピオンでもあったそそうです。

 そんな彼が伝道師となり、何を思ったか突然新宿の歌舞伎町で路傍伝道を始め、い
つの頃からか私は妻と一緒に彼の手伝いをするようになっていました。そしてある日
私は彼に自分がヤクザだったことを打ち明けました。

 ですから「十字架行進」の計画を知った時、私は一も二もなく参加したいと思った
のです。その時私は神学校に籍を置き、ほとんど稼ぎもなくもちろん貯えもない状態
でしたが、妻の許しを得て沖縄へとやってきたのでした。

熊本県警に挨拶する

 沖縄を出発して三日目、本土へと渡った私が足を踏み入れたのは熊本県でした。熊
本市内を歩きながら私は、こみあげる思いを感じていました。それは熊本県警の傍ら
を歩いていたからでした。

 私はホーランド牧師に頼みました。 「拡声器を貸して下さい」 「え? 覚醒剤
?」

 牧師はおどけて言いました。しかし私は笑っている余裕はありませんでした。やに
わに拡声器をつかむと、思いがけず私の口から言葉が飛び出してきたのです。 「熊
本県警の皆さん。以前お世話になりました鈴木でございます。私は悔い改めて、イエ
ス・キリストを信ずるようになりました。以前はご迷惑をおかけしました。しかし今
は真面目にやっています。人間は法律によっては救われず、愛によってこそ救われる
ことを知りました。どうぞ県警の皆さんも、神様を信じて下さい!」

 自分が喋ろうと予定していたわけでもないのに、こうした言葉が自然に口から出て
きたのです。 「言ってごらん」「やってごらん」。神様がそっと背中を押して下
さったのを感じたのです。この時から私は自分が変わってゆくのを自覚し始めlまし
た。「行進」は関門トンネルを通って本州に上陸し、中国地方を通り抜けて姫路まで
やってきました。 姫路の教会で開かれた集合に、続けて来ている男性がいました。
いかつい顔にパンチパーマのその人は、いつも最前列に座り、私たちの証を熱心に開
いてくれました。そして自分も一緒に「行進」に加わりたいと申し出たのです。 な
んと、その人も元ヤクザだったのです。妻子と別れ、覚醒剤に溺れ、子供と心中しよ
とまで思いつめ、でもその時は神の力で立ち直り、教会に通っていたのです。造園業
を営んでいた彼は、仕事を調整するのも難しかったのですが「行進に参加しなさい」
という神の声に押されるようにして、やってきたとのことでした。六月に、盛岡から
参加、一緒に歩くようになりました。こうして私はヤクザだった高原芳郎さんとめぐ
り合い、共に神の働き人となる道を行くこととなりました。

 元ヤクザが次々結集

 そして津軽海峡を越えて北海道に渡り、ようやく最終目的地の宗谷も間近いと思え
た小樽で、私はまたも、元ヤクザで今クリスチャンの井上薫さんと出合うことになり
ます。

 井上さんもそれまでに大変曲がりくねった道を歩んできて、三度も自殺未遂をした
と言います。それでも一人の女性に聖書を渡されたことから、神の存在を信じるよう
になり、教会に通うようになっていたのでした。

 集会で彼は司会をしていました。もの静かで落ち着いた雰囲気の彼がヤクザだった
なんて絶対に思えませんでした。 しかし、「ハレルヤ!」と両手を挙げたその時
に、袖口からチラリと刺青が見えて、私は「あっ、ここにも仲間がいる」と、なんだ
か嬉しくなりました。

 井上さんもさっそく私たちの「行進」に参加して、その頃には総勢九人となった
「リバイバル十字架行進」のメンバーは、その年の夏に、最終目的地の宗谷岬に到
着、五ヵ月以上に渡り百五十回もの集会をこなしながらの行進で、私ははっきりと自
分の行き先を示されたように思いました。

 この「十字架行進」のことが少しずつ世間に知られるようになって、アーサー・
ホーランド牧師の元に何人かの元ヤクザ、今クリスチャンの人たちから問い合わせが
入るようになり、ました。

 最初に連絡してきたのは、かつて大阪でヤクザをしていた金沢泰裕さん。クリス
チャンだった父の死を機に悔い改め、将来を模索していた人でした。背中に彫られた
刺青が龍と虎で、これがキリスト教では悪魔の紋章ではないかと心配してきたのでし
た。

 この金沢さんとは、私は昔大阪の賭打場で合ったことがあります。今はお互い牧師
になって、運命の不思議さに顔を見合わせるのです。

 また元組長で大阪抗争を闘った吉田芳幸さん。二十年間ヤクザをやって、「ヤクザ
ほど素敵な商売はない」と思っていた中島哲夫さん、クリスチャンホームに生まれな
がら強盗という罪を背負って日本中かけ廻っていた真島創一さん、そして刑務所の中
で神の愛に目覚めた信田和富さん。

 不思議というかやっぱりというか、ヤクザだった時代にイエス・キリストにあっ
て、それまでの生活を捨てて生まれ変わりたいと願った人たちが次々に集まってきた
のです。こうして私たちは聖書を勉強しあい、同じ経験をした者同士の励ましあいに
支えられて、神の御心に添い、その伝道者となることを心に誓ったのでした。

 ミッション・バラバという名称は、その頃から名乗るようになりました。バラバと
は聖書にでてくる極道者。殺人、強盗など、エルサレムで悪行の限りを尽くしたとさ
れています。

 そのバラバが本当は十字架にかけられるはずだったところ、キリストが身代わりと
なって十字架にかかったため、バラバは助かった。その後のバラバは消息不明、どう
なったかはわからないということです。

 悪逆非道をしてきた私たちには実に身につまされる話で、私たちの罪をイエス・キ
リストが身代わりに背負って下さったと思ったものです。  こうして私たちは伝道
集団、ミッション・バラバを結成しました。






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